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2006年 09月 15日
ケッカロン
結果論。

結果論という考え方に最近賛成している。

選択に時間をかけることは時として損をすることがある。
行動の中で軌道修正ができるかを判断しておくことでその選択を尊重できるようにする。

ただストーリーを描くことは大事だと思う。
その意味で結果論は美味しい考え方だと思うのである。
結果論を展開できるということは、それだけ理解して整理された考えがあるということだと考えてみる。(ツジツマを合わせるだけの結果論は除外するとする)ただその旨みを残しながら、がこの考え方のメリットなのかなって。

ただ結果論は後で話すことができるもの。
そこがこわい。。。
今は気持ちを忘れず、結果論的行動中であるのかもしれない。

やぁねぇ
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by hrcod | 2006-09-15 00:25 | ◆life is beautiful
2006年 09月 11日
レフ346
自分は人と違う生き方をしようと思ったことはないし、そこには自分と向き合って選択した道程だと思って歩いて来たという自信もある。
しかしここで大事なのは、感じるも思うも自分であるから自分がそこが人と違うこと楽しいこと気持ちいいことだと思う。
これは自分のことを考える場合に限る意見だが。

もうひとつ。

安定や安心を得ることはとても難しいということだ。
人と違う不安定や軽蔑を受けかもしれない生き方を生き抜くのと同じくらい難しいのだ。と思う。
どちらかだけを経験しているだけの人間には理解しづらいか、経験していない人間でも知識や他から聞かされて気付く人もいるかもしれない。
それを知らずに光り輝く自分の生き方に陶酔する理論の展開をすることは少々危険を含んだ理論の展開の仕方のように思える。(また反対にそう考えられる事はすばらしい事でもある。)
ただこれは、個人の自由で否定するなど恐れ多いことであることは重々承知の上である。それはそれで正当であるわけであって。

最近思うのは、普通と言われるもの全てはその裏に大変な努力が隠れている場合があるということ。だから普通の生活生き方がしたいとか普通が一番!などと考える人がいるならば、その人は相当の覚悟の上なんだなと密かに思いながら作り笑いのひとつでもして自分に言い聞かせることにしているわけだ。

またしてもここでも厄介なのは、普通という概念は個人によって持っている考えが違うという事。しかし往々にして人は、普通という言葉を自分のできる範囲内に置くという事だ。だからあたかも可能という枠の中での話にしてしまうところに有る。

普通という言葉がそういう使われ方をしている事は事実だし、もともとそういう使い方をする言葉なのかもしれないが、今になって普通という言葉、安定という言葉はとても普通じゃないし、安定という状態を維持するためには危険がつきものであるという事を理解していなければならないと思うのである。


発想は転換させること。
常に裏に隠されているものの本質を、本質たるものを見ようとする事。
検証するための思考を動かせ。

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by hrcod | 2006-09-11 23:05